人として正しいか、という基準で生きること—— 約束と距離感の話

—— 自分のコントロールできないところで、 振り回されるのは嫌だなと思う。

基本的に、
大抵のことは「自分に問題があって、
そこを改善すればうまくいく」と考えるタイプだ。

いわゆる、自責の考え方なんだと思う。

だからこそ、
他人の行動ひとつで、
予定や気持ちを乱されると、
ものすごく不快になる。


目次

約束を守る、という当たり前

約束を守る。
時間を守る。
守れないなら、事前に連絡する。

これは人間として、
かなり基本的なことだと思っている。

子どもにも普段から、
「それは人間として正しい行動か?」
という基準で考えるように話している。

ただ、現実には――
大の大人でも、
これができない人は少なくない。

「午前10時に行く」と自分で言っておきながら、
連絡もなく、夜に来る。

相手の時間を奪っているという自覚が、
たぶん無い。

相手の気持ちを、
少しでも想像できるなら、
普通はやらない行動だと思う。


不快感の正体

この手の出来事で感じる不快感は、
「他人に振り回されたから」ではない。

自分の中にある、

人としての前提条件。
――約束を守る。
――相手の時間を尊重する。

その基準を、
踏み荒らされた感覚に近い。

価値観の不一致、というより、
前提の破壊

だから、強く引っかかる。


じゃあ、関わらない方がいいのか?

結論としては、
深く関わらない、という判断でいいと思っている。

これは感情的に人を切る、という話ではない。
リスク管理の話だ。

特に相手が兄弟など、
簡単に縁を切れない存在の場合は、

「断つ」ではなく、
関わり方を再設計する。

それが、現実的な落としどころになる。


実際に決めた運用ルール

考えた結果、
以下のルールに落ち着いた。

  • 時間厳守が必要な約束はしない
  • 集合は「来れたら合流」形式にする
  • ○時までに来なければ、予定通り進める
  • 金銭・仕事・重要な判断は一切絡めない

相手を変えようとしない。
説教もしない。

ただ、
自分の時間と判断を守る設計に切り替えただけ。


これは冷たいのか?

むしろ、逆だと思っている。

相手を否定しない。
無理に正そうとしない。
期待しすぎない。

その結果、
こちらも消耗しないし、
関係も壊れにくい。

我慢し続ける姿を見せるより、
線を引く大人の背中を見せる方が、

子どもへの教育としても、
一貫している気がする。


まとめ

  • 約束を守ることは、人としての基準
  • 守れない人がいるのも現実
  • その責任まで、自分が背負う必要はない
  • 相手を変えるのではなく、関係の設計を変える

情ではなく、設計で付き合う。

それが、
長く・穏やかに生きるための、
一つの答えなのかもしれない。

コメント

コメントする

目次