—— 才能論 vs 習慣論──プロになれるか、途中で折れるか
プロになれる基準って、何だろう。
才能か。
努力か。
環境か。
父とそんな話をしていたとき、
気づけば話題は「プロの残酷さ」から、
「続けることの難しさ」にすり替わっていた。
たぶん、この2つは混同されがちだけど、
本当はまったく別の話をしている。
才能論が支配する世界
スポーツの世界は分かりやすい。
子どもの頃からやっていても、
プロになれるのはほんの一握り。
大会で上位に入らなければ、
ランキングに名前が載らなければ、
そもそも「見てもらうこと」すらできない。
努力は前提。
それだけでは足りない。
イチローも、似たようなことを言っていた。
努力は当たり前。
そこから先に行けるかどうかが勝負。
大谷翔平を見れば、なおさら分かる。
才能、努力、環境、運。
全部が揃って、ようやく「1人」になる。
これが才能論の世界。
冷たいけど、事実だ。
才能論の危うさ
ただ、才能論には副作用がある。
才能がないなら、やる意味がない
という逃げ道を用意してしまうこと。
結果が出ない
↓
向いてない
↓
やめる
この流れは、驚くほど簡単だ。
才能論は本来「上に行く話」なのに、
いつの間にか
途中で降りる理由として使われてしまう。
習慣論が守っているもの
父の話の中で、
一番印象に残ったのは、こんな話だった。
レギュラーになれなかった子がいる。
3年間、ずっと頑張った。
結果は出なかった。
それでも、
根性がついた。
よくやったと思う。
と言っていた。
ここで評価されているのは、
才能でも結果でもない。
続けたことそのものだ。
習慣論は「成功」を約束しない
習慣論は、成功を保証しない。
プロになれるか。
結果が出るか。
そんなことは分からない。
でも、確実に防げるものがある。
- 投げ癖がつくこと
- 自分を嫌いになること
- 「どうせ俺は…」で終わる人生
続けた人は、負けても折れにくい。
途中でやめた人は、別の場面でもやめやすくなる。
この差は、あとから効いてくる。
習慣がない人は、
才能論の舞台にすら立てない。
才能があるかどうかを語れるのは、
続けた人だけだ。
ほとんどの人は、
才能で負ける前に、習慣で脱落する。
親の役割は「才能を見抜く」ことじゃない
この話の本当のテーマは、たぶんここだ。
親がやるべきなのは、
- 才能を判断すること
- 将来を決めること
ではない。
やるべきなのは、環境を作ること。
- 線路を引く
- 隣で走る
- 当たり前になるまで一緒にやる
歯磨きと同じ。
やらないと気持ち悪い。
そこまで落とし込めたら勝ち。
才能は後から分かる。
でも、習慣は先に作れる。
才能論と習慣論は、戦っていない
整理すると、こうなる。
- 才能論:どこまで行けるかを決める
- 習慣論:途中で落ちるかを決める
ほとんどの人は、
才能で負ける前に、習慣で脱落する。
だからこの2つは対立じゃない。
順番の話だ。
おわりに
プロになれなくても、
続けた時間は消えない。
結果が出なくても、
習慣は人格として残る。
才能論は残酷だけど、
習慣論は裏切らない。
少なくとも、
「途中で投げた自分」だけは、
残さずに済む。
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